この記事でわかること
- 公明党の成り立ちと創価学会との関係
- 1999年〜2025年の自公連立が続いた構造と、2025年10月に解消された経緯
- 2026年衆院選後の公明党の現在地
概要
公明党(こうめいとう、英語: Komeito)は、日本の政党。宗教団体の創価学会を支持母体として中道政治の実現を目指して結成された。
略称は公明。1字表記の際は公。
1993年(平成5年)8月9日から1994年(平成6年)4月28日まで日本新党、日本社会党、新生党、民社党、新党さきがけ、社会民主連合、民主改革連合と連立して細川内閣の与党となり、1994年(平成6年)4月28日から1994年(平成6年)6月30日まで新生党、日本新党、民社党、自由党、改革の会、民主改革連合と連立して羽田内閣の与党となった。
1999年10月5日から2009年9月16日まで、および2012年12月26日から2025年10月21日まで自由民主党と自公連立政権を構成していた。
成り立ち・背景
1950年代に始まった創価学会による地方選挙での政治活動を源流とし、1964年に国政政党として正式に結党する(同年に選挙管理委員会に届け出)。1965年の第7回参議院議員通常選挙、1967年の第31回衆議院議員総選挙において国会の議席を確保した。1993年、細川内閣において初の政権入りを果たす。1994年に解散した上で新進党に合流するも、新進党の解党に従い、1998年に公明党を再結成した。1999年からは自民党との自公連立政権を成す。2009年の第45回衆議院議員総選挙後の民社国連立政権・民国連立政権では野党になったが、次の2012年の第46回衆議院議員総選挙で自民党が政権与党に復帰すると、再び連立を形成して与党に復帰した。2025年に自公連立政権を離脱し、13年ぶりに野党となった。
支持母体は宗教法人の創価学会である。創価学会員や公明党関係者全員が公明党に投票するとは限らず、一部の創価学会員が造反行為で公明党以外の立憲民主党の支持者になるケースや日本共産党に投票するケースもあるとされる。党員・支持者は創価学会員であるとは限らず、「フレンド票」と呼ばれる創価学会員の友人、創価学会員の配偶者や交際相手、神道の信者や伝統的な仏教の信者など一般的な日本人で公明党の福祉政策や環境保護政策を支持する人、かつて日本社会党や民社党の支持者だったキリスト教徒など多様である。プロテスタントの信徒であることを公表している作家・元外交官の佐藤優などキリスト教徒の公明党支持者が存在している。三重県知事を務める一見勝之氏は、「政権に公明党がいることは心強い」と述べて、無宗教を自認する社会学者の西田亮介は政治学者として公明党の政策内容を研究して公明党の社会政策を評価している。
政教分離に関しては、1988年の国会議員からの質問主意書に対し、政党は憲法第20条第1項後段の「政治上の権力」に当たらないとの回答が内閣から示されている。2014年の質問主意書への回答でも、宗教団体が支援する政党の所属者が公職に就き国政を担っても「政治上の権力」の行使に当たらないとしている。
関連項目
Politype的視点
公明党は「福祉・教育・平和」という明確な政策軸を持ち、連立政権の中でその実現を追求してきた政党だ。低所得者向け給付、児童手当の拡充、消費税の軽減税率など、公明党が主導した生活者向け政策は少なくない。
2025年10月に自公連立を離脱し野党へ転じた後、立憲民主党と「中道改革連合」を結成して2026年2月の衆院選に臨んだが、選挙前の議席から大幅に減らす惨敗を喫した。26年間の「与党公明」が終わり、創価学会票が「野党側」として機能するかが問われる局面が続いている。→ 公明党はなぜ自民党と組み、なぜ解消されたのか