この記事でわかること
- 2009年の政権交代はなぜ「失敗」に終わったのか
- 鳩山・菅・野田と続いた3年3か月で何が起きたのか
- 現在の野党分裂の原点がここにある──民主党崩壊の構造
概要
民主党(みんしゅとう、英語: The Democratic Party of Japan、略称: DPJ)は、かつて存在した日本の政党。民主中道を基本理念としリベラル政治の実現を理念とする政党だった。略称は「民主」。2009年8月の第45回衆議院議員総選挙で政権交代を実現し、2010年5月まで社会民主党と国民新党とともに民社国連立政権(鳩山由紀夫内閣)、および国民新党とともに民国連立政権(菅直人内閣、野田内閣)を組み、形成していた。
成り立ち・背景
1998年4月、院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)に参加していた旧民主党・民政党・新党友愛・民主改革連合が合流して結成された。法規上は旧民主党以外が解党して合流したという形をとっているものの、旧民主党の議員もいったん全員離党し再度入党、その他人事や要綱、ロゴなどを一新したこともあって、同じ政党名でありながら旧民主党とは区別して扱うことが慣例になっている。また、結党時には保守中道を掲げる旧民政党系と民主リベラルを掲げる旧民主党系が対立した結果、党の基本理念を「民主中道」とすることで落ち着いた。
保守・中道右派を自認する自民党に対して、主に海外メディアからはリベラル・中道左派の政党と位置付けられた。しかし結党・合併の経緯により、自民党などの流れを汲む保守本流・保守中道や旧民社党系の反共色の強い議員も一定数存在し(前者は渡部恒三、松原仁など、後者は河村たかし、西村眞悟など)、左派政党と位置付けられることに否定的な党員・支持者も存在した。なお、2001年に党内左派より「中道左派という概念から社会主義インターナショナルに加盟すべき」という提案がなされたが、当時の代表・鳩山は「左派というのは民主党のコンセンサスではない」と反対し、頓挫した。
2003年9月に自由党が合流(民由合併)。2007年の参議院議員通常選挙で勝利し、2009年の衆院議員総選挙でも大勝して政権を獲得し、社民党・国民新党とともに連立与党を形成した。しかし、2012年の総選挙で大敗し、再び野党に転落した。
再び野党に転落した民主党の支持率は低迷し、2016年の維新の党との合流にあたり党名を民進党に改称し、これを以て民主党は結党以来18年の歴史に幕を下ろすことになった。これに伴い、旧民主党から続いた「民主党」の党名も20年で消滅した。しかしながら民進党に改名後も支持率は低迷し、その後民進党は2017年に希望の党との合流騒動を経て、旧・立憲民主党と旧・国民民主党に分裂する。2020年には旧・国民民主党は旧・立憲民主党などと共に新・立憲民主党を結成し、非合流組は新・国民民主党を結成した。
関連項目
Politype的視点
2009年の政権交代は「日本政治の転換点」になるはずだった。しかし鳩山→菅→野田と続く3年3か月で何が壊れたのか。普天間・東日本大震災・消費増税という三つの試練を通して「政権担当能力」とは何かを問い直す格好の素材。この失敗が立憲民主党と国民民主党に分裂する原点になった。