この記事でわかること
- 小沢一郎が何度も政党を作り直してきた「合従連衡の論理」
- 野党再編の歴史で繰り返されるパターンがここに凝縮されている
- 少数政党が連立や合流で生き残る戦略の実例
概要
自由党(じゆうとう、英語: Liberal Party)は、かつて存在した日本の政党。略称は自由、LP。新聞やメディアでは自由民主党と混同しないよう由と記される場合もある。前身は、「日本未来の党」→「生活の党」→「生活の党と山本太郎となかまたち」。そのうち後者2つもこの記事で取り扱う。
2012年12月、日本未来の党の党名を「生活の党」(英語: People's Life Party)に改称する形で発足した。民主党の小沢グループと鳩山グループ、新党きづな、国民の生活が第一の出身者を中心に結成され、党シンボルマークも「国民の生活が第一」のものを引き継いだものが使用されていた。
成り立ち・背景
小沢一郎は、民主党内において最大派閥を率いていたが、野田内閣の施策への反対や党内の権力闘争などの結果、2012年に自派の議員を引き連れて離党、国民の生活が第一を経て2012年11月28日に設立された日本未来の党に参加する。同党は左派新政党の集合体であったが、12月16日の第46回衆議院議員総選挙で議席を61から9に減らす惨敗を喫する。直後、代表の嘉田由紀子と国会議員の大半を占める小沢系議員との対立が激化した。対立は収まらず12月28日、小沢系とそれ以外とで分党することを決めた「共同宣言」を発表するに至った。日本未来の党は非小沢系議員を離党させた上で党名を「生活の党」に改称し、新代表に森裕子が就任、12月28日に総務省へ届け出た。結党時点で、国会議員15人(衆7、参8)であった。その後、幹事長兼国会対策委員長に鈴木克昌が就いた。嘉田と社民党出身の阿部知子は分党組織として日本未来の党の名称を引き継いた政治団体「日本未来の党」を立ち上げ、国民新党出身の亀井静香は離党した。分裂について、嘉田は「(小沢氏と)水と油のような異質性が力を発揮できると思ったが、結果的にうまくいかなかった」と述べたほか、阿部も「成田離婚だ」と言い表した。小沢らの動きを党を「乗っ取った」と評したメディアもある。
なお、こうした経緯により、政党助成法に基づいて、2013年の政党交付金(8億6500万円)は生活の党が全額受け取った。
2013年1月11日、初の両院議員総会を開催。1月25日には結党大会が開かれ、森が代表を辞任。新代表に小沢が選出された。
2013年7月21日に行われた第23回参議院議員通常選挙に代表代行の森ら現職6名を含む11人の候補者を擁立したが、全員落選した。敗因について、小沢は「メディアが生活の党を積極的に取り上げなかったからだ」と語った。国会議員は総勢9人(衆7・参2)となる。選挙を受けた党役員人事を8月2日の両院議員総会で決定し、幹事長の鈴木が代表代行を兼務、参議院議員の谷亮子を副代表兼参議院幹事長などとなった。
関連項目
Politype的視点
小沢一郎は「壊し屋」と呼ばれながら何度も政党を作り直した。その論理は常に「政権交代のための野党結集」だ。自由党の短命な歴史は、日本の野党が連携するための条件と障壁を凝縮して示している。国民民主党への合流プロセスを追うと野党再編の現実が見えてくる。